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ひとつのできごと

一つの出来事

宮本 百合子

「大観」1919(大正8)年11月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 11,024 字 · 23 页

青空文庫

一つの出来事

宮本百合子

一

二階の夫婦が、貸間ありという札を出した。これは決して珍らしいことではない。この湖畔の小村では、夏になると附近の都会から多勢の避暑客が家族連れで来るので、大抵の家は二間三間宛よぶんな部屋を拵えて、夏場に金を儲ける工夫をしている。六月も中頃になって、ニューヨークの激しい炎熱が、黒いアスファルトを油臭く気味悪く溶かし始めると、この村の古い街路樹に包まれた家には一斉に“Furnished rooms”という札を往来にまで張り出す。そして、秋風立って旅客をまたもとの都会に送り帰すまで数箇月の間を、家族は小さくどこかの隅に逼塞(ひっそく)して、外来の者のために部屋部屋を提供するのである。それ故あまり豊かでない夫婦が空間(あきま)を貸す計画を立てたということは決して驚くべきことではない。むしろ当然なことともいうべきなのである。けれども、それを見ると、一緒に私共は思わず、まあ、あのお婆さんに貸す部屋があるの? と云った。私共の知っているお婆さんの二階は狭くて、とうてい今いる以上の人数を収容することはできそうにもなかったからなのである。