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せそう
世相
織田 作之助
「人間」1946(昭和21)年4月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 32,089 字 · 64 页
買いませんかな」
と、やはり煙草を売りに来たのだった。いくら口銭を取るのか知らないが、わざと夜を選んでやって来たのも、小心な俄か闇屋らしかった。
「千箱だと一万円ですね」
「今買うて置かれたら、来年また上りますから結局の所……」
「しかし僕は一万円も持っていませんよ」
当にしていた印税を持って来てくれる筈の男が、これも生活に困って使い込んでしまったのか途中で雲隠れしているのだと、ありていに言うと、老訓導は急に顔を赧くした。断られてみれば闇屋もふと恥しい商売なのであろうか。
老訓導は重ねて勧めず、あわてて村上浪六や菊池幽芳などもう私の前では三度目の古い文芸談の方へ話を移して、暫らくもじもじしていたが、やがて読む気もないらしい書物を二冊私の書棚から抜き出すと、これ借りますよと起ち上り、再び防空頭巾を被って風のように風の中へ出て行った。
風はなお吹きやまず、その人の帰って行く十町の道の寒さを私は想ったが、けれども哀れなその老訓導にはなお八千円の金はあり、私には五千円もないのかと思えば、貧乏同志形影相憐むとはいうものの、どちらが形か影かと苦笑された。そしてふと傍の新聞を見れば、最近京都の祇園町では芸妓一人の稼ぎ高が最高月に十万円を超えると、三段抜きの見出である。