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ここのつのかぎ

九つの鍵

野村 胡堂

「少年時代」1949(昭和24)年1月~4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 21,349 字 · 42 页

青空文庫

たが、そこにも何の変りもなく、天才少女狩屋愛子が、蜘蛛の糸に釣られた美しい揚羽の蝶のように、ビルの屋上にスルスルと引上げられたというのが、愛子の兄の三郎の幻想でなければ、愛子はビルディングの中で、煙の如く消えてしまったとでも思うほかはありません。

明方までそこで頑張った狩屋三郎は、夜の明けると共に自分の家へ引揚げました。同じ番町でも、半蔵門寄りのビルから、九段寄りの狩屋邸までは、十分ぐらいの距離はあり、馬吉を走らせて、一応の報告はしましたが、あとは連絡の方法もなく、たった一夜の留守ですが、三年も旅をしていたような心持ちで、自分の家の門をはいったのです。

「おや?」

幸いに焼け残った狩屋家の番町邸は、小規模ではあるにしても、大炭鉱王の昔の栄華を偲ばせて、何んとなくまとまった美しさと、趣味の高い清潔さを思わせる家でしたが、それが今朝は何んという変りようでしょう。

門を一歩はいった三郎は、背筋を走る不気味さと、言うに言われぬ不安を感じたのです。

襲われたような気持ちで門番小屋を覗くと、入口の扉は開いたまま、中にいる佐五平老人は、昼の事務服を着て、テーブルにもたれたなり、昏々と泥に酔ったフナのように、半醒半眠のありさまで泡を吹いているではありませんか。