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ひとのくに

人の国

豊島 与志雄

「随筆」1924(大正13)年1月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 7,761 字 · 16 页

青空文庫

「どうだい!」

まだ消え去らぬ喫驚した気持の中からそう云って、四五歩近づいてゆくと、お清はしなやかな指先で前髪の後れ毛を撫で上げながら、覚めたばかりの澄み切った眼を細めて、円い笑顔をにこにこと笑いくずした。

「ほんとにどうしたんでございましょう。私の方が寝坊なんか致しまして。」

その様子から言葉つきまで、平素書斎にやって来る折の、機嫌はよいが妙にかしこまった二十歳の彼女とは、全く人が違ったようだった。久保田さんは落凹んだ眼をくるくるとさした。

「どうしたんだって、そりゃ何も……。」云いかけてまたも眼をくるくるとさした。「わしは何だよ、今天文をみていた所だが、此度はお前の手相をみてあげよう。手をかしてごらん。」

躊躇してる所へ歩み寄って、彼女の片手を取ったが、生憎それは左手だった。然し久保田さんはそんなことを意に介しなかった。しなやかだと見える指先にまでみっちりと実がはいって、可愛くくくれた手首に至るまでの掌に、篦でつけたような柔かな筋が薄い皮膚を刻んでいた。

「ほう、お前もいい運だ。余りよすぎて悪いことが起るかも知れないが、兎に角いい運だ。」

呆気にとられてこちらを見守ってる彼女の眼に出逢うと、久保田さんは肩をぴくりとさして手を離した。