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なにもの

何者

江戸川 乱歩

「時事新報 夕刊」時事新報社、1929(昭和4)年11月28日~12月29日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 38,449 字 · 77 页

青空文庫

しかもその辺は、決して足跡のつかぬ様な硬い土ではないのだ。又足跡を隠す程の草も生えてはいない。

それは、漆喰の丸い井戸側が、殆どかけてしまって、何となく無気味な古井戸であった。電燈の光で中を覗いて見ると、ひどくひび割れた漆喰が、ずっと下の方まで続いていて、その底に鈍く光って見えるのは腐り水であろう。ブヨブヨと物の怪でも泳いでいそうな感じがした。

賊が井戸から現われて、又井戸の中へ消えたなどとは、如何にも信じがたいことであった。お菊の幽霊ではあるまいし。だが、彼がそこから風船にでも乗って天上しなかった限り、この足跡は賊が井戸の中へ這入ったとしか解釈出来ないものである。

流石の科学探偵波多野警部もここでハタと行詰った体に見えた。彼は入念にも、部下の刑事に竹竿を持って来させて、井戸の中をかき廻して見たが、無論何の手答えもなかった。と云って、井戸側の漆喰に仕掛けがあって、地下に抜け穴を通じているなどは、余りに荒唐無稽な想像である。

「こう暗くては、細いことが分らん。あすの朝もう一度調べて見るとしよう」

波多野氏はブツブツと独り言を云いながら、邸の方へ引返した。