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まんじ

卍

谷崎 潤一郎

「改造」改造社、1928(昭和3)年3月~1929(昭和4)年4月、6月~10月、12月~1930(昭和5)年1月、4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 133,618 字 · 258 页

青空文庫

いうたらもう眼エに涙溜めはって、「今では夫婦でもないのんに、あの人のこと『あんた』いうたらいかん」いいなさって、人のいる前ではともかくも、内輪では何ぞ外に呼びようあるやろ、「孝太郎さん」とか、「孝ちゃん」とか、いうて欲し、夫にしたかて私のこと「園子」やの「お前」やのいわんと、「園子さん」いうか、「姉さん」いうかせないかん、それぐらいはまだええとして、睡眠剤と葡萄酒持って来なさって、「二人ともこれ飲んで寝なさい、あてあんたらの寝ついたん見てから行ぬ」いうて聴きなされしません。初めは冗談か思てましたら、なかなかそやないのんで、「特別によう利く薬調合してもろて来た」いいなさって、粉薬の包二つ出して、夫と私の前い置いて、「二人ともあてに対して忠実誓うねんやったら、その証拠にこれ飲みなさい」いいなさるやあれしませんか。けどこの薬に毒でも這入ってて、自分だけ永久に眠らされるのんやないか知らん?――と、はっとそんな気イ起りましたら、「飲め飲め」いいなさるほどなおのこと疑わしいになって来て、じーっと光子さんの顔視詰めてますと、夫もやっぱり同じ恐怖に襲われたらしゅう、白い粉薬手エの上に載せたまま、私の手エにある薬の色と見比べるみたいにして、光子さんの顔と私の顔とジロジロうかごうてるのんです。