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めいじんじごく

名人地獄

国枝 史郎

「サンデー毎日」1925(大正14)年7月5日~10月25日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 149,286 字 · 301 页

青空文庫

船首に篝が燃えていた。その横手に一人の武士が、牀几に端然と腰かけていた。他ならぬ観世銀之丞であった。その傍らにお艶がいた。と、象ヶ鼻の岩上から、

「観世!」と呼ぶ声が聞こえて来た。平手造酒の声であった。闇にまぎれて立っているのだ。銀之丞は牀几から立ち上がった。

「おお平手!」と彼はいった。「おさらばだ、機嫌よく暮らせ!」

「航海の無事を祈るばかりだ!」

「有難う! お礼をいう! 遠く別れても友情は変らぬ!」「お互い愉快に活きようではないか!」

「新天地! 新天地! それが俺を迎えている! 生活は力だ! 俺は知った!」「ふさぎの虫など起こすなよ!」「過去の亡霊! 大丈夫!」「おさらばだ! おさらばだ!」

「平手様、さようなら!」お艶の声が聞こえて来た。

「お艶どの、さようなら!」

船は沖へ駛って行った。

間もなく大砲の音がした。森田屋の賊船が襲ったのであった。それを二発の大砲で、苦もなく追っ払ってしまったのであった。

恋の船、新生活の船、銀之丞とお艶の黒船は、明けなんとする暁近い海を、地平線下へ消えて行った。

因果応報悪人の死

物語りは三月経過する。

桜の花が咲き出した。