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めいじんじごく

名人地獄

国枝 史郎

「サンデー毎日」1925(大正14)年7月5日~10月25日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 149,286 字 · 301 页

青空文庫

弟と別れた甚三が、空馬を曳いて帰りかけた時、

「馬子!」とうしろから呼ぶ者があった。振り返って見ると旅の武士が、編笠を傾けて立っていた。けんかたばみの紋服に、浮き織りの野袴を裾短かに穿き、金銀ちりばめた大小を、そりだかに差した人品は、旗本衆の遊山旅か、千石以上の若殿の、気随の微行とも想われたが、それにしてはお供がない。

病的に美しい旅の武士

編笠をもれた頤の色が、透明るようにあお白く、時々見える唇の色が、べにを注したように紅いのが気味悪いまでに美しく、野苺に捲きついた青大将だと、こう形容をしたところで、さらに誇張とは思われない。開いたばかりの関所の門を、たった今潜って来たところであろう。

「戻り馬であろう。乗ってやる」こういった声は陰気であった。

「へい有難う存じます」甚三は実は今日一日は、稼業をしたくはなかったのであるが、侍客に呼び止められて見れば、断ることも出来なかった。「どうぞお召しくださいまし」

シャン、シャン、シャンと鈴を響かせ、馬は元気よく歩き出した。どう、どう、どう、と馬をいたわり、甚三は峠を下って行った。手綱は曳いても心の中では、弟のことを思っていた。