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きつえんよんじゅうねん
喫煙四十年
寺田 寅彦
「中央公論」1934(昭和9)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 8,500 字 · 17 页
先達て開かれた「煙草に関する展覧会」でこの天狗煙草の標本に再会して本当に涙の出る程なつかしかったが、これはおそらく自分だけには限らないであろう。天狗がなつかしいのでなくて、その頃の我が環境がなつかしいのである。
官製煙草が出来るようになったときの記憶は全く空白である。しかし西洋で二年半暮して帰りに、シヤトルで日本郵船丹波丸に乗って久し振りに吸った敷島が恐ろしく紙臭くて、どうしてもこれが煙草とは思われなかった、その時の不思議な気持だけは忘れることが出来ない。しかしそれも一日経ったらすぐ馴れてしまって日本人の吸う敷島の味を完全に取り戻すことが出来た。
ドイツ滞在中はブリキ函に入った「マノリ」というのを日常吸っていた。ある時下宿の老嬢フロイライン・シュメルツァー達と話していたら、何かの笑談を云って「エス・イスト・ヤー・マノーリ」というから、それは何の事だと聞いてみると、「馬鹿げた事だ」という意味の流行語だという。どういう訳で「マノリ」が「馬鹿なこと」になるかと聞いてみたが要領を得なかった。その後この疑問を遙々日本へ持って帰って仕舞い込んで忘れていた。