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ぼちてんぼうてい
墓地展望亭
久生 十蘭
「モダン日本」1939(昭和14)年7月~8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 46,485 字 · 93 页
(頭の傷など、どうだっていいが)
何か大きな手で、心臓をひと掴みにされたような衝動がきた。身体じゅうの血が一斉に心臓へ向って逆流した。
(それにしても、エレアーナ王女はどうなったろう)
肘から血を滴らし、紙のように白くなった王女の顔が、悪夢のように網膜にまつわりつく。映画の大写しのように、突然、顔だけになったり、石鹸玉のようによろめいたりする。竜太郎と、ふと顔を合したときの、あのたとえようのない悲しげな眼差。そのくせ、どこか諦めきったような静謐な色を浮べながら、目礼でもするかのような、ほのかな眼使いをした。
(王女も、この地下牢のどこかにいるのではなかろうか)
思いもかけなかった愉悦の感情が、春の水のように、暖かく心をひたし始めた。
(じぶんのすぐ側に、あの夜の少女がいる)
ゆくりなく、かりそめの契りをしてから、どのような思いで、そのひとの姿を追い求めていたことであったろう。巴里での、あの、身も細るような奔走と感傷。はるばるとこの荒々しいバルカンの風土の中にやって来る途中の灼けつくような物思い。……そして、いま、冷湿な砲台監獄の壁をへだてて、その人と隣り合せている。