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よるのわかば

夜の若葉

宮本 百合子

「婦人朝日」1940(昭和15)年7月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 12,072 字 · 24 页

青空文庫

片手でタンマをこしらえながらその机の下を這い出して、ひょいと立ち上ろうとした途端、廊下の簾の蔭から鬼になっている順助が何と思ったのか犢ぐらいの嵩で自分も四つ足になりながらいきなり姿を現した。余り度胆をぬかれたのと怖かったのとで桃子は本当に泣き出してしまった。

「順ちゃんたら、そんな黄色いものを着てるのに這うんだもの」

そういって泣いた。順助は古風な黄麻の湯上りを着ていたのであった。

「弱虫だなあ」

順助はそういいながら泣いている桃子の傍に待っていた。そして、桃子が泣きやむと、

「もういいかい?」

と訊いた。

そのもういいかい? と小さい自分に訊いた順助の声の調子は、何とまざまざと二十三の娘となった今の桃子の耳の底というよりは心の奥に、抑揚のこもった響となってのこっていることだろう。あのときの順助や自分を思い出すと、何ともいえず懐しくまた滑稽で思わず笑えるのだけれども、笑いのなかには喉にこみ上げるような思いもこもっている。

兄二人が学校を終って就職し、順助が帝大の物理へ通うようになってから、元のような暮しは変ったが、順助のギタアにピアノを合わせるのは桃子であった。