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よるのくつ
夜の靴
横光 利一
――木人夜穿靴去、石女暁冠帽帰(指月禅師)
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 107,056 字 · 213 页
久しく崩れていた元気も沸いて来た。今日の午後から農会の人たちと釈迦堂であうことになっていたのが、それが先日から気がすすまずいやだったのも、よし会おうと乗り出る気にもなったりした。
私は三ヵ月ぶりに手鏡を前に剃刀をあててみた。刃のあとから芽の出て来る姿勢で、雪にしだれた孟宗竹のふかぶかした庭に対い、私はネクタイの若やいだのを締めてみた。
「いつまでも、こうはしちゃおれぬからね。」
ふと私は意味の分らぬことを妻に口走った。先からの私の素ぶりで妻は何か察したようだった。
「そうですよ。まだお若いんですもの。そのネクタイはあたしも好きですわ。」
「これか。」
これはハンガリヤで一人の踊子、イレエネといったが、その娘からいま妻が洩したのと同じような口ぶりで、賞められたことのあるネクタイだった。あのダニューブの夜は愉しく私はイレエネから、手を取られて習ったハンガリヤの踊りの足踏みをつま先に感じ、攻め襲って来るような雪の若い群れを見渡しながら、用意はこちらも出来ている自信で私は穏かになった。そして、いよいよ自分の出番になったと思った。一陣は参右衛門で昨夜は失敗、次ぎが清江でこれは立派な成績、その次ぎが私のこれからだった。