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よあけまえ
夜明け前
島崎 藤村
01 第一部上
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 205,629 字 · 408 页
徳川政府の威信の実際に試さるるような日が、とうとうやって来た。
寿平次は妻籠の本陣にいた。彼はその自宅の方で、伊那の助郷六十五か村の意向を探りに行った扇屋得右衛門の帰りを待ち受けていた。ちょうど、半蔵が妻のお民も、半年ぶりで実家のおばあさんを見るために、馬籠から着いた時だ。彼女はたまの里帰りという顔つきで、母屋の台所口から広い裏庭づたいに兄のいるところへもちょっと挨拶に来た。
「来たね。」
寿平次の挨拶は簡単だ。
そこは裏山につづいた田舎風な庭の一隅だ。寿平次は十間ばかりの矢場をそこに設け、粗末ながらに小屋を造りつけて、多忙な中に閑を見つけては弓術に余念もない。庄屋らしい袴をつけ、片肌ぬぎになって、右の手にの革の紐を巻きつけた兄をそんなところに見つけるのも、お民としてはめずらしいことだった。
お民は持ち前の快活さで、
「兄さんも、のんきですね。弓なぞを始めたんですか。」
「いくらいそがしいたって、お前、弓ぐらいひかずにいられるかい。」
寿平次は妹の見ている前で、一本の矢を弦に当てがった。おりから雨があがったあとの日をうけて、八寸ばかりの的は安土の方に白く光って見える。