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よあけまえ
夜明け前
島崎 藤村
01 第一部上
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 205,629 字 · 408 页
この地方で祭礼狂言を興行する歴史も古い。それだけ土地の人たちが歌舞伎そのものに寄せている興味も深かった。当時の南信から濃尾地方へかけて、演劇の最も発達した中心地は、近くは飯田、遠くは名古屋であって、市川海老蔵のような江戸の役者が飯田の舞台を踏んだこともめずらしくない。それを聞くたびに、この山の中に住む好劇家連は女中衆まで引き連れて、大平峠を越しても見に行った。あの蘭、広瀬あたりから伊那の谷の方へ出る深い森林の間も、よい芝居を見たいと思う男や女には、それほど遠い道ではなかったのである。金兵衛もその一人だ。彼は秋の祭りの来るのを待ちかねて、その年の閏七月にしばらく村を留守にした。伏見屋もどうしたろう、そう言って吉左衛門などがうわさをしているところへ、豊川、名古屋、小牧、御嶽、大井を経て金兵衛親子が無事に帰って来た。そのおりの土産話が芝居好きな土地の人たちをうらやましがらせた。名古屋の若宮の芝居では八代目市川団十郎が一興行を終わったところであったけれども、橘町の方には同じ江戸の役者三桝大五郎、関三十郎、大谷広右衛門などの一座がちょうど舞台に上るころであったという。