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だいぼさつとうげ

大菩薩峠

中里 介山

37 恐山の巻

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 254,021 字 · 495 页

青空文庫

もとより、米友自身が、一隻の小舟をも所有しているはずはないから、どこからか借受けて出発したものに相違ない。すでに借受けて出発したものとすれば、使用の済み次第、その本来の所有主に返却しなければならない。そこで、この律義一遍の生一本な野人は、当然その義務を果すべく舟を漕ぎ戻し行くものに相違ないのです。しかし、それだとしては少々水先が変である。舟を貸すようなところは、あちらの臨湖の岸であって、この廓壕のようなところを漕いで行けば、当然、廃墟の行きどまりへ着いてしまう。その辺に、貸舟業者の河岸があろうとは思われない。

しかし、米友は、遠慮会釈なく、その廓壕の中の蘆間へ舟を操って行きましたが、暫くあって、

「あっ!」

と言って舌を捲いて、棹をとどめて小舟の中に立ちっきりになって、その円い目をクルクルと驚異させました。

物に怯えないこの男も、驚くことはあるのです。驚くというのは、予期し、或いは予想していたことより、相当、或いは全然意外な事体が展開された時に起る人間の感情なのですから、米友が、「あっ!」と言って、眼をみはって、突立ってしまったからには、その見つめた方向に於て、全く予想も予期もしなかった或る現象が現われたからなのでしょう。