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あまくさのはる

天草の春

長谷 健

「九州路抄」日本交通公社、1948(昭和23)年9月15日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 7,293 字 · 15 页

青空文庫

三月二十三日

きのう越後からの便りに、越路はまだ深い雪の中で、春まだ遠くとあつたが、肥後路の季節は早く、菜の花も桜も今や満開、らんまんの春の姿である。しかしこの日は珍しく北の風が出て雲低く、さきがけた春の出ばなをくじかれた思いで、天草への船が三角港を出帆したころは、粉雪さえ落ちはじめ、デツキに立つてもいられない程であつた。けれども船数の少い航路のこととて、船室はぎつしり満員なので、レインコートのえりをたて、僅かに風をふせぎながら右舷のふなべりにこしかけていた。北風が強いので、人々は船員の止めだてを聞かず、ともすれば左舷に片寄るので、船は傾き、気が気でない。しぜん旅なれない人たちだけが、その危さにおびえて、右舷に集るばかりであつた。

天草へは、はじめての旅だ。だから天草の地図にもうとく、おおよそ小さな島が二つ並んでいる所であろう位の地理的認識しか、持つていなかつた私である。ところが、三角港を出た船が、十分も航程を経ない中に、おびただしい島々のあるのに、私は先ず驚かされた。しかもその島々の自然的配置が面白く、恐らく火山島だろうと思われる、奇石怪岩がいたるところに散在して、後で聞いたが、天草松島といわれているのも、さこそとうなずかれる風景であつた。