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ちぎりきぬ

契りきぬ

山本 周五郎

「ロマンス」ロマンス社、1949(昭和24)年10月~11月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 32,757 字 · 66 页

青空文庫

――伊代さんにだけでも手紙を書いておこうか、あんなにお世話になったのだから。

こう考えて机に向ったが、事実を書くには忍びないし、これ以上ひとを偽るのもいやだし、結局は筆を投げてしまった。

――十時の鐘を聞いてまもなく、おなつは寝た。今夜きりだから起きていて世話をしたいが、そうすると却ってみれんが出そうに思えた。

――このままがいい。このまま会わないほうがいい。灯を暗くして眼をつむった。雨はまだ降っていた。やや肌寒いくらいの夜で、しみいるような雨の音のなかに、絶え絶えの、かぼそい哀れなこえで、こおろぎの鳴いているのが聞えた。客の接待で疲れたのだろうか、なにも思うまいと心をおちつけ、かたく眼をつむっているうちに案外はやく眠ったらしい、――なにか夢をみていて、誰かに呼ばれているのだが、なかなか眼がさめなかった。

「――なつ、……なつ」

こうはっきりと声が聞え、びっくりして眼をあいた。するとついそこに精之助が立ってこちらを見ていた。――おなつは本能的に夜具で胸を押えながら、それでもすばやく起きなおった。

「済まないが酒のしたくをして来て呉れ」

精之助はそう云ってすぐに去った。