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ちぎりきぬ

契りきぬ

山本 周五郎

「ロマンス」ロマンス社、1949(昭和24)年10月~11月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 32,757 字 · 66 页

青空文庫

そうしてさらに、話のようすでは客の座敷に出ないほうがよさそうだから、内所と台所の手伝いをして貰おう、おてつが来ても顔の合わないようにしてやるから、――こういうことで、思いもかけない好意をうけることになった。主人は茂平といって五十五六になる逞しい体つきをしていたが、おそろしく無口な、あいそうのないひとだった。一日じゅう碁譜を手に独りで碁石を並べたり、ときに尺八を吹いたり、すぐ前の谿流で魚を釣ったりしている。宿のほうは妻に任せたきりで、帳面を見ようともしなかった。……おなつは一年半ばかりこの家にいたのであるが、そのあいだに彼とは二度か三度しか口をきいたことがなかったくらいである。

その湯治場は浅井川の谿谷に沿っていて三十数軒ある家の、殆ど九割までが温泉宿をしていた。『むろい』はそこの中心ともいうべき位置にあり、二百年とか続いているようで、本屋と呼ぶ二階造りのほうは、大きな広間をいれて部屋が十五もあり、べつに平家造りの離れと呼ぶ建物が二棟あった。――前は道を隔てて谿川がながれ、その向うは紅葉で名だかい岩根山が、眉に迫る感じでそそり立っている。

おなつはほかの女中たちとはべつに、内所と主婦の居間とに挾まれた三畳の部屋を与えられたが、そこの障子をあけると、正面に岩根山が見え、谿流の音が高く爽やかに、絶えず淙々と