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おくのうみ

奥の海

久生 十蘭

「別冊週刊朝日」1956(昭和31)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 13,005 字 · 26 页

青空文庫

父は物臭で、なにひとつ娘たちに身の立つようなこともしてくれなかったが、一人々々が古沼の淀みから出て、幸福になることを、心から願っているので、世間で評判しているような、金穀でむすめを売り沽かすなどということはなかった。

こんどの縁談は父も祝福してくれたが、あなたが息を切らしながら米を運んで来るので、あいつめも、つまらぬうわさを信じているのだとみえると、ひどくがっかりしていた。

私どもは貧苦の世界に住み馴れ、どうあろうと、食の道などは、ものの数でもなかったのに、あなたは一年先の扶持米まで借りだし、代渡し手形に裏判をつき、二度の食をつめ、水を飲んでまでいたわってくださるのだが、その親切が重石になり、あるにあられぬ思いがした。

食うものがなければ、水を飲めといってくれればいいので、苦労を分けあうこそ、夫婦というものなのではなかろうか。

あの夜、切に、おそばへ帰りたくて、長屋の出窓の下をいくたびか往復し、おしずまりになるのを待っていたが、朝まで行灯のそばに坐っていられたので、そのため、とうとう帰りそびれてしまった。云々とある。

私は犬でもねこでもないのだから、糧で飼われているのでは、いかにも空しい気がする、という意味なのであった。