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おうしゅうにおけるみたちふじわらし

奥州における御館藤原氏

喜田 貞吉

「民族と歴史 第七巻第六号」1922(大正11)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 17,211 字 · 34 页

青空文庫

清衡の子基衡は、父の富と勢いとをそのままに継承して、相変らず奥羽に割拠していたのであった。彼は父の中尊寺に倣ってその近傍に毛越寺を建立した。不幸にしてこの寺はほとんど当時の何物をも後世に遺していないが、『吾妻鏡』の記するところによると、中尊寺よりもその規模遙かに宏大なりしがごとくに思われる。中尊寺は寺塔四十余宇、禅坊三百余宇とあるが、毛越寺には堂塔は同じく四十余宇で、禅坊は五百余宇の多きに達していたのである。されば『吾妻鏡』(文治五年九月二十二日条)にも、基衡は果福父に軼ぎ、奥羽両国を管領すとある。彼は九条関白家に自筆の額を請い、また参議藤原教長に請うて、堂中の色紙形を書いて貰ったとある。彼がやはり父の方針をついで、黄金の力をもっていかに公家の※(「てへん+晉」、第3水準1-84-87)紳に近づいていたかが察せられよう。しかも彼また法性寺関白忠通の額だけはついに貰い損った。『古事談』に、

法性寺殿令レ書二所々額一給之間、自二御室一額ヲ一依下令二申請一給上、被二書献一了。而陸奥基衡ガ堂ノ額ナリケリト令レ聞給テ、争デサル事有トテ、御厩舎人菊方ヲ御使ニテ、被二召返一ケリ。