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いえ

家

島崎 藤村

01 (上)

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 126,748 字 · 254 页

青空文庫

向の料理屋の二階だけは未だ賑かで、三味線の音だの、女の笑い声だのが風に送られて聞えて来る。瓦斯の燈はションボリとした柳の樹を照している。一歩三吉が屋外へ出てみると、暗い空には銀河が煙の様に白かった。

「お雪――」

と三吉が呼んだ。お雪は白い寝衣のままで、冷々とした夜気に打たれながら、彼方是方と歩いていたが、夫の声を聞きつけて引返して来た。

「オイ、風邪を引くといかんぜ」

と三吉は妻を家の内へ呼入れて、表の戸を閉めた。

急に、子供は身体が具合が悪かった。三吉の学校では暑中休暇も短いので、復た彼は弁当を提げて通う人であったが、帰って来てみると、家のものが皆なでお房の機嫌を取っていた。お房は母親から離れずに泣き続けた。

「まあ、どうしたんだろう、この児は」とお雪は持余している。

「智慧熱という奴かも知れんよ」と三吉も言ってみた。「橋本の薬をすこし服ませてみるが可い」

夫婦は他の事を忘れて、一緒にお房のことを心配した。子供の泣声ほど直接に三吉の頭脳へ響けて、苦痛を与えるものは無かった。あまりお房が泣止まないので、三吉は抱取って、庭の方へ行って見せるやら、でんでん太皷だの笛だのを取出して見せるやら、種々にして賺したが、どうしてもお房の気に入らなかった。