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ふじ
富士
岡本 かの子
「文芸」1940(昭和15)年11月号~1941(昭和16)年4月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 40,579 字 · 82 页
翁はいまにもそれを恐れるように大事そうに螺の如き自分の腹を撫でた。
夕風が一流れ亙った。新しい稲の香がする。祭の神楽の音は今将に劉喨と闌である。
翁が呆然眺め上げる福慈岳の山影は天地の闇を自分に一ぱいに吸込んで、天地大に山影は成り切った。そう見られる黝み方で山は天地を一体の夜色に均された。打縁流、駿河能国の暮景はかくも雄大であった。
神の道しるべの庭のかがり火は精気を増して燃えさかっている。
山の祖神の翁は、泣いていいか笑っていいか判らない気持にされながら、かがり火越しに幄舎の方を観る。
わが子でありながら超越の距りが感じられる福慈の神は、白の祭装で、机に百取の机代を載せたものを捧げ、運び行くのが見える。
長なす黒髪を項の中から分けて豊かに垂れ下げ、輪廓の正しい横顔は、無限なるものを想うのみ、邪なる想いなしといい放った皎潔な表情を保ちながら、しら雲の岫を出づる徐なる静けさで横に移って行く。清らかな斎の衣は、鶴の羽づくろいしながら泉を渡るに似て爽かにも厳かである。
蛍光のような幽美な光りが女神の身体から照り放たれ、その光りの輪廓は女神の身体が進めば闇に取り残され、取残されては急いで、進む女神の身体に追い戻る。