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ふじ

富士

岡本 かの子

「文芸」1940(昭和15)年11月号~1941(昭和16)年4月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 40,579 字 · 82 页

青空文庫

男の吸う乳房は、やはり岩瘤の一つで天井から垂れ下ったものであるが、尖には乳首の形もあった。これに伝わって滴る雫は、霊晶の石を溶し来て白濁し、人間の母が胸から湧かすところの乳の雫そのままであった。

若い獣神はいう「この乳を、あの方は、生に対しても根が尽き果て、さればといって死へも急げない、生けるものに取っていちばん遣り切れないときに飲めと仰しゃるんです。そのときがいちばん利くと。でも、そういう場合に飲もうとする努力は苦しいものですね」

若い獣神はしきりに咳き込んだ。水無瀬女は背を撫でて介抱してやった。

燈火のかすかな灯かげで女は獣神をよく見た。眼は落ち窪み 頬は痩け削げているが、やさしいたちの男らしかった。獣神にもこんな男がいるのか。女は眼を瞠った。ただ顔立ちに似気なく厚肉の唇は生の情慾に燃え血を塗ったようだった。男は荒い毛の獣の皮を着ていた。その衣の裾が岩床に敷くまわりに一ぱい痰が吐き捨ててあった。その痰の斑には濃い緑色のところと、黄緑色のところと、粘り白いところとある。淡く白いのは唾らしく無数の泡を浮べていた。眉をひそめて、それを眺めていると見て、男はそれを指しながらいった。