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からすうりのはなとが

寺田寅彦随筆集 第三巻

寺田 寅彦

寺田寅彦『寺田寅彦随筆集 第三巻』。同一底本的分册已合并为一书。收入:からすうりの花と蛾、火山の名について、日常身辺の物理的諸問題、量的と質的と統計的と、物理学圏外の物理的現象、ロプ・ノールその他、青衣童女像、カメラをさげて、連句雑俎、ラジオ・モンタージュ、青磁のモンタージュ、読書の今昔、映画の世界像、「手首」の問題、映画雑感(Ⅰ)、生ける人形、映画芸術、音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」、俳諧の本質的概論、夏目漱石先生の追憶、田丸先生の追憶。

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 213,804 字 · 425 页

青空文庫

俳句の全然わからなかったらしいチャンバーレン氏の言ったように、それはただ油絵か何かの画題のようなものに過ぎなくなり、芭蕉の有名な句でも「枯れ枝にからすのいる秋景」になってしまうであろう。この、画題と俳句との相違はどこから生まれるかというと、それは対象の象徴的心像の選択と、その排列と、句をはたらかせる言葉のさばきとであり、なかんずく重要なのは「てにをは」の使用である。それよりも大切なのは十七字の定型的詩形から来る音数律的な律動感である。

短い詩ほど詩形の規約の厳重さを要求する。そうでなければ、詩だか画題だか格言だかわからなくなる。のみならず、近来わが国諸学者の研究もあるように、七五の音数律はわが国語の性質と必然的に結びついたもので人為的な理屈の勝手にはならないものである。この基礎的な科学的事実を無視した奇形の俳句は、放逸であっても自由ではない。俳諧の流るるごとき自由はむしろその二千年来の惰性と運動量をもつところの詩形自身の響きの中にのみ可能である。俳諧は謡いものなりというはこの事である。一知半解の西洋人が芭蕉をオーレリアスやエピクテータスにたとえたりする誤謬の出発点の一つはここにもある。