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おびひろまで
帯広まで
林 芙美子
「文藝春秋」1936(昭和11)年11月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 13,656 字 · 28 页
玄関を開けると、浴衣を着た小さい婆さんが出て来た。脣のあたりが黒ずんでいた。伊代は、これが細君の母親なのだと思った。
「まさ子! 珍客だよ、起きておいでよ」
奥の方に寝ているのか、細君の起きあがる気配がしたが、婆さんが何か通じたものかまたひっそりしてしまった。九太は茶を沸かしに台所へ立って行った。浅い床の上には何年か自分も手入れをしたことのある九太のヴァイオリンが大きな影をつくって立てかけてあった。細君のであろう派手な銘仙が壁にぶらさがっている。台所で、「おい、おい」と云っている九太の声がした。細君は何時までも黙っているらしかった。何かごたごたしているようであったが、九太が茶盆をさげて興奮した顔をして出て来た。雨の音がすさまじくなった。
「何、唐蜀黍の葉に当るから、大雨のように思うのさ……」
どっかと胡坐を組むと、九太はふうと酒呑みがするような溜息をついて、伊代を見た。伊代は眼で「ほれ御覧なさい」と云った。やっぱり細君は出て来ないじゃないかと云った眼の色であったが、九太は、伊代の悪戯そうな顔色を見て、「思い知ったか」と云われているように取った。「ま、その日その日、食べてるようなものさ。