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びしょう

微笑

豊島 与志雄

「雄弁」1919(大正8)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 20,995 字 · 43 页

青空文庫

然し本当はそれがなおいいわけではなかったか。皆其処では心が淋しくはなかったか。また、もしこれが何か物でも尋ねるのであったら、皆親切に教えてくれたかも知れない。然し、用の無い言葉の方はよりよく人の心を温めるものではないか。――私達はそういうことまで考えた。理論は実行の後からついてくる、そう思って私達は二人で苦笑もした。

然し何よりもそれは、私達の当時の生活状態では興味あることであった。

薄暗がりで眺める人間の顔は変なものだった。私達が話しかけるのに気味悪がって遠くに立ち去って、またじろじろとこちらを顧みる者の顔の中は、ただ眼と口とばかりだった。眼は冷たく鋭く輝いていた。口は妙にだらりとしていた。眼には敵意があり、口には可笑しな愛嬌さえあった。美しかるべき眼と貪慾なるべき口とのその表情の矛盾は、やがて社会生活の矛盾を示すものではなかったろうか。眼が陰険で口が可愛いいものは、動物のうちに人間ばかりのような気もした。ただその時、鼻が少しも私の注意を惹かなかったのは変だった。

十二月の末になって、いつとはなしに私達の注意をひく男が一人現われて来た。マントを着て草履をはいていたが、或は鳥打帽を被ったり、或は中折を被ったりした。