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こころのかわ
心の河
宮本 百合子
「改造」1924(大正13)年6月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 18,442 字 · 37 页
愕然としたように、保夫が眼を大きくして、さよの顔を視た。
「――馬鹿!」
彼は四辺の静寂な光を乱して、はげしく座布団の上に座りなおした。さよは、掌一杯冷汗を掻いた。彼女は、動悸が苦しく強く搏って、口をつむんでいられないようになった。「彼も同じことを思っていたのか。――そうでなくてどうしてあの意味深い馬鹿! が出よう。……自分達二人が一どきに、一緒に思えることは……互に――」
さよは、座に堪えなくなった。彼女は立って縁側に出た。外も暗い。心の中の通り暗い。彼女の前には、はびこったねばりづよい薄闇に、こんもり幾重にも茂り合った常磐木の樹立と、片よって一本、細い電柱があった。縁側に近い八つ手の滑らかな葉末が、部屋から溢れる赤みがかった光線で陰気に一部分照されている。上に、電柱が、斜に空間を貫き、これも光の工合と見え、片側ばかり異様に白っぽく気味わるい生き物のように抽(ぬき)んでている。
さよは、ひやひやになった指先で、幾度も無意識に自分の額を擦った。「この夜の裡にばかりもう百年も棲んでいるようだ」彼女は思った。「この永い、重い、苦しい夜は本当に明日あけるのだろうか……」