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よく

慾

豊島 与志雄

「改造」1932(昭和7)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 16,324 字 · 33 页

青空文庫

淋しい。ばかに淋しい。彼女は僕に引寄せられるままに任せる。着物の裾が夕暮の影みたいな淡い紫を畳の上に流して、島田の鬢がうすく透いてみえる。僕の眼は小さなダイヤに刺戟されて、いつのまにか涙ぐんでいる。ぬるく冷えた銚子の酒は涙の源泉となる。飲めば飲むほど涙が出る。今晩、これから二人でどこかへ行ってしまおう。そして明日一日遊ぶんだ。そして……明後日の早朝には、浅間の噴火口へ飛びこんでしまうんだ。お互に、つまらないじゃないか。出かけよう。今晩、これから出かけよう。約束だ……。小指を差出すと、彼女も小指を差出して元気よく打振る。が、晴れやかに笑っている。あたしいい気持に酔っちゃったのよ。もっと飲まして頂戴。そして僕の腕から、細そりした腺病質の上体をぬけ出して、肉附のいい重い尻をずらして、呼鈴を鳴らして、ねえさん、熱いのを下さいなと、涼しい顔をしている。かと思うと、卓によりかかって、揶揄するように僕の顔を眺めながら、口移しに煙草の煙を吸わしてくれる。何一つ取留めたこともないのだ。ただ一つあるとすれば、こんど三越のホールで常盤津の会があって、自分も一寸出ることになっているから、是非来てくれと、切符を一枚僕にくれた。