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よく

慾

豊島 与志雄

「改造」1932(昭和7)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 16,324 字 · 33 页

青空文庫

彼女はいつも朗かな調子でやってくる。他に出ている時には、貰いをかけるとすぐにくる。別に嬉しそうな顔でもない。それかって取澄してるのでもない。そして饒舌で酒飲だ。が、その饒舌は、めちゃくちゃに下らない事柄の上を飛び廻るだけで、そして時々晴れ晴れと笑うだけで、結局のところ沈黙に等しい。唄もうたえず洒落の才能もない僕は、杯を弄びながら、いきおい黙りこみがちだ。わきから見たら、何が面白いのかと訝られるに違いない。然し傍目にそう見えるのが、惚れた男の常態だ。彼女の、斜視めいてうわずった左の眼付が、僕の眼を擽ぐる。舌が長すぎるような甘ったるい言葉附が、僕の耳を擽ぐる。白粉の下の蒼白い頬の皮膚が、僕の感傷をそそる。――あたしもう何もかも嫌んなっちゃった、といろんな苦労を訴えて、僕の肩にすがって涙ぐむ、そうした彼女を空想していた僕は、物足りなくて淋しい。彼女の手の細長い紅い爪をいじっていると、その指の根本のプラチナのなかに、小さなダイヤが涙の玉のように閃めく。母のダイヤは朝露のように光っていた。それをも持出してしまった。そして彼女には小さな真珠も買ってやれないでいる。