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あるおんな

或る女

有島 武郎

2(後編)

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 205,655 字 · 406 页

青空文庫

追い払っても追い払ってもそのうるさい黒い影は目の前を立ち去ろうとはしなかった。……しばらくそうしているうちに葉子は寒気がするほどぞっとおそろしくなって気がはっきりした。

急に周囲には騒がしい下宿屋らしい雑音が聞こえ出した。葉子をうるさがらしたその黒い影は見る見る小さく遠ざかって、電燈の周囲をきりきりと舞い始めた。よく見るとそれは大きな黒い夜蛾だった。葉子は神がかりが離れたようにきょとんとなって、不思議そうに居ずまいを正してみた。

どこまでが真実で、どこまでが夢なんだろう……。

自分の家を出た、それに間違いはない。途中から取って返して風呂をつかった、……なんのために? そんなばかな事をするはずがない。でも妹たちの手ぬぐいが二筋ぬれて手ぬぐいかけの竹竿にかかっていた、(葉子はそう思いながら自分の顔をなでたり、手の甲を調べて見たりした。そして確かに湯にはいった事を知った。)それならそれでいい。それから双鶴館の女将のあとをつけたのだったが、……あのへんから夢になったのかしらん。あすこにいる蛾をもやもやした黒い影のように思ったりしていた事から考えてみると、いまいましさから自分は思わず背たけの低い女の幻影を見ていたのかもしれない。