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ぎじゅつのてつがく

技術の哲学

戸坂 潤

「技術の哲学」時潮社、1933(昭和8)年12月13日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 84,443 字 · 164 页

青空文庫

この切実な併し最も引っかかりの多い中間層の諸問題は、色々な種類と段階の「技術家」の問題に至って頂点に達するのであり、そしてそこにインテリゲンチャ問題が技術の問題に必然的に触れて行かねばならぬ理由があるのである。かくて技術の問題は(第三に)、技術家問題(乃至はインテリゲンチャ問題)として、その問題形態が決って来る。

で技術を、第一に技術そのものとして、第二にイデオロギー問題として、第三に技術家問題として、取り上げて行かねばならぬ。

技術そのものに就いて――

日常吾々は技術という概念を可なり無造作に使っている、時によってこの言葉は所謂技術だけではなく一般に技能や手法をさえ意味している。この概念を一応整理することが問題を展開するのに必要だと思う。

形式主義的ブルジョア論理は、こうした場合いつでも何かの形の定義が必要であり又有効だと信じているようである。その数から云っても決して古来少なくはない処の哲学的技術論者――技術を哲学的に省察したり技術の概念を哲学体系の骨子にしようとしたりする哲学者・理論家達――も亦、そういう心組みから技術を定義しようと企てる。例えば「技術とは人間の意欲に対して物体的形態を与える処の凡てのものである*」