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ほうろうき(しょしゅつ)

放浪記(初出)

林 芙美子

「女人藝術」1928(昭和3)年10月号~1930(昭和5)年10月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 103,349 字 · 207 页

青空文庫

そっと上って来たお君さんの大きいひさし髪が、月の光りで、黒々と私の上におおいかぶさると、今朝から何も食べない私の鼻穴に、プンと海苔の香をたゞよわせて、お君さんは枕元にそっと寿司皿を置いた。そして黙って、私のみひらいた目を見ていた。

優しい心づかいだ……わけもなく、涙がにじんで、薄い蒲団の下からそっと財布を出すと、君ちゃんは、

「馬鹿ね!」

厚紙でも叩くようなかるい痛さで、お君さんは、ポンと私の手を打つと、蒲団の裾をジタジタとおさえてそっと又、裏梯子を降りて行った。

あゝなつかしい世界だ。

十月×日

風が吹く。

夜明近く水色の細い蛇が、スイスイと地を這っている夢を見た。

それにとき色の腰紐が結ばれていて、妙に起るとから、胸さわぎのするようないゝ事が、素的に楽しい事があるような気がする。

朝の掃除がすんで、じっと鏡を見ていると、蒼くむくんだ顔は、生活に疲れ荒さんで、私はあゝと長い溜息をついて、壁の中にでもはいってしまいたかった。

今朝も泥のような味噌汁と、残り飯かと思うと、支那そばでも食べたいなあと思った。

私は何も塗らない、ぼんやりとした顔を見ていると、急に焦々として、唇に紅々と、べにを引いてみた。