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ほうろうき(しょしゅつ)
放浪記(初出)
林 芙美子
「女人藝術」1928(昭和3)年10月号~1930(昭和5)年10月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 103,349 字 · 207 页
「いつまでもお金かえせないで、本当にすまなく思っています。」
松田さんは酒にでも酔っているのか、わざとらしくつっぷしてゴブゴブ涙の息をしていた。
さくらあらいこの所へ行くの厭だけど、自分の好かない場違いの人の涙を見ている事が辛らくなったので、そっとドアのそばへ行く。
あゝ拾円と云う金が、こんなにも重苦しい涙を見なければならないのかしら、その拾円がみんな、ミシン屋の叔母さんのふところへ、はいって私には素通して行っただけの拾円だった。
セルロイド工場の事。
自殺したお千代さんの事。
ミシン屋の二畳でむかえた貧しい正月の事。
あゝみんなすぎてしまったのに、小さな男の涙姿を見ていると、同じような夢を見ている錯覚がおこる。
「今日は、どんなにしても話したい気持ちで来たんです。」
松田さんのふところには、剃刀のようなものがキラキラ見えた。
「誰が悪るいんです! 変なまねは止めて下さい。」
こんなところで、こんな好きでもない男に殺ろされる事はたまらないと思った。私は私を捨てゝ行った島の男の事が、急に思い出されると、こんなアパートの片隅で、私一人辛い思いをしている事が切なかった。