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せいじとさっかのげんじつ
政治と作家の現実
宮本 百合子
「文学」1947(昭和22)年3月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 18,700 字 · 37 页
十月がツァーの重圧をとりのぞいた。デニキン、コルチャック、ウランゲルらによる国内戦と飢饉と大移動と、それにたいするボルシェヴィキの奮闘などは、ロシアの全人民に無限の経験とエピソードとをもたらした。全人口が「語るべき何事かを」生きたのであった。私たちに近親な作家として、たとえばフールマノフやファデーエフ等の作家たちは、彼の「赤色親衛隊」や「叛乱」の政治的・文学的意味を自覚して創作したであろうし、ファデーエフの「壊滅」は偶然の作品ではなかった。単にゲリラに参加した若者の手記ではなかった。けれども、同時代の作家でたとえばピリニャークが、馬鈴薯の袋をかついで、鉄道の沿線を、あっちにゆきこっちにゆくうちに、蓄積された印象に文筆の表現を導かれはじめたのは偶然であったにちがいない。イヴァーノフが「装甲列車」を書いたのにも、積極的な意味での環境の偶然性があったと思う。十月によって人民の文化の生れる社会的可能は拡大され、その基盤は拡大されたが、そのころは文学的才能の存在には「天賦」的事情が多かった。
「私は愛す」の作者アヴデンコが革命当時「保護者のない子供たち」ベス・プリゾールヌイの一人であったということには深甚な意味がある。