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しんしょたいこうき

新書太閤記

吉川 英治

03 第三分冊

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 185,353 字 · 371 页

青空文庫

「そんな苦手へ向って、こんな苦労をなぜするか」

藤吉郎は、それも自分へ質問してみた。

翌日、岩手を立ち、晩は、南宮山の麓村に一宿し、そこへただ一名の供の佐屋桑十も残して、まったくただ一人、いよいよ栗原山へ登りにかかった日も、途中幾たびか、

「――何でそんな苦手な人間を、無理に山を降らしに出かけるか」

を考えてみた。

要するに藤吉郎自身、藤吉郎という人間をよくよく検めてみると、途方もない大慾の容器なのである。喜怒哀楽とよぶ愚かなものはみんな盛り上げている盤である。花鳥風月にも、恋慕の情にも、骨肉の愛にも、ひとしく心を動かし涙を催さずにいられない大凡物なのである。

この大慾の凡物を、持って生れて、誰がもて余しているかといえば、他人ではない。彼自身である。――そこで彼は、持て余すまい、よく生かそうと、自己の天性を自己の努力で錬冶している。鞴の火みたいな熱意を不断にそれへかけている。――今、登っている栗原山もその熱意が踏んでゆくのである。

――が、それだけで彼の大慾は完成できない。藤吉郎はそれを知っている。自分の求めているのは、自分とまったく反対な名利なき人物であった。