轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

えいがとみんぞくせい

映画と民族性

伊丹 万作

「映画評論」1944(昭和19)年3月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 5,175 字 · 11 页

青空文庫

私はここでもまた、いうことのあまりにやすきを嘆ぜざるを得ない。

試みに思え、国民学校の一年生でも、今日先生の教えを理解し得るのは過去六年間の家庭の薫陶が基礎をなしているからである。我々の過去に何の薫陶があつたか!

説くものはまたいう。せりふの多い映画は不向きであるから、極力せりふを少なくし、動きを多くし、あたうべくんば活劇風のものを作れと。

あるいはそれもよいだろう。しかし、それをなすためには複雑な内容を忌避しなければならず、したがつて我々は意識的に一応退化しなければならない。一歩でも半歩でも絶えず前へ進むところに芸術にたずさわるもののよろこびがある。うしろへ進めといわれて熱情を湧かし得るものがあるかどうか。

説をなすものはさらにいう。畳の上に坐臥する日本の風習は彼らのわらいを買うからおもしろくない。百姓の生活は見せないほうがよい。貧しい階級の生活は見せないほうがよい。あるいはいわく何。いわく何。

ここにいたつて私は彼らに反問せずにはいられない。そもそも君たちは映画を何と心得ているのかと。国民の生活を反映しないような映画はすでに映画ではないのだ。