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とけい

時計

宮本 百合子

「ペン」1937(昭和12)年2月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 3,956 字 · 8 页

青空文庫

私は、父の顔を見た途端、困っちゃったと云った、時計をなくしちゃった、と云った。泣けないけれども、そういう時は、頬っぺたがとけたような心持であった。

これの代りに、程経ってから両蓋のやはりウォルサムの銀側が出来た。父がこれも買ってくれたのであった。私はそれに再び黒いリボンを結びつけた。北海道で、荷馬車のうしろへ口繩をいわいつけた馬にのってアイヌ村を巡った時、私の帯の間にはこの時計が入っていた。

ニューヨークの寄宿舎では豌豆がちの献立であったから腹がすいて困った。その時、デスクの上で何時かしらと眺めるのも、その時計であった。

ところが、二年ばかりすると、動かなくなってしまった。ウォルサムの機械の寿命がそんな短いわけはない。どれ、俺がなおさせてやろう。第一回は父が直しに出し、次には私が出した。しかし、もう元のように動かず、三度目に直させた時、ああ、これは内の部分品が代っています。別なのが入って居りますから、どうも……。とことわられた。私はその頃、非常に自分の居場所におちつけない妻としての生活をしていた。夫婦喧嘩のようなことをして、家にいたくなかった夕方、ふらりと、その結婚前からの時計、今は故障している時計をもって店も考えつかず足の向ったところで直させたのであった。