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くらがりのおとまつ

暗がりの乙松

山本 周五郎

「キング」大日本雄辯會講談社、1936(昭和11)年9月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 11,992 字 · 25 页

青空文庫

「その桶屋というのは何者ですえ?」

「武蔵屋政吉、素性を洗えば『暗がりの乙松』という人さ」

「げえっ……?」

三次は反った、「そ、それじゃあ、お前さんは乙松親分じゃねえのですか」

「昨夜宿の亭主が云ったのを聞かなかったかえ、私は沼津の酒問屋で、梅田屋宗兵衛という若隠居さ」

男はそう云って、凄みのある顔に和やかな微笑を浮べた。

「それでもあの薗八節は?」

「ああ、あれかえ」

梅田屋は笑いだした、「あれはね、今から三年前の秋、妙な機会で暗がりの乙松と知合いになり、その時あれから教えてもらったのさ――乙松が京へ行ったのもその時のことで、今では職人の五六人も使って立派に暮しているそうだ。私のつまらぬ洒落っ気が、それでもあの人を堅気にしたと思うと、まんざら悪い道楽じゃあなさそうだね」

「といいなさるのは……」

「商売人と見りゃ近づいて盗んだ跡の愁嘆を見せるのが私の道楽さ、はははは」

梅田屋宗兵衛のことばは、温かく力強く三次の胸へ滲込んでいった。

「さあ行こう、京へのぼって手に職がついたらそう云ってよこすがいい、店を出すくらいの金は都合してあげよう」

「…………」

三次は無言のまま、万感あふれ出る眼で、じっと梅田屋宗兵衛の横顔を覓めた。