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ほんぽうしょうぞうちょうこくぎほうのすいい
本邦肖像彫刻技法の推移
高村 光太郎
「道統 第四巻第十号」1941(昭和16)年11月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 5,058 字 · 10 页
人間とのつながりと言っても、古代に於いてはもとより凡夫の像ではなく、宗祖とか開基とか、いずれも高徳名智識の像であり、従って半ば仏像に準ずるものである。いずれも礼拝の対象であるから、その相貌風姿も、彫刻様式もほぼ仏像に拠る手法で造られている。例えば耳朶の如きも大抵仏像に見るように長大に造られ、着衣の衣文も仏像の衣文に近く、決して有りのままの肖像的理念によって出来たものではない。自然界に眼の開けて来た鎌倉時代に及んでかなり写実的傾向を加え、庶民勢力の増大した徳川期になると、地方の庄屋様でもどうかすると木像を作らせるようになったのである。そのような時でも彫刻様式の上では古来の仏像彫刻の伝習から全く逸脱しているものはあまり見かけない。この延長が明治時代に於ける西郷隆盛の銅像である。上野に立っているあの銅像はまったく仏像彫刻の技法の一転した木彫様式の写実であって、恐らく斯かる様式の最後をなすものと言えよう。そういう意味であの銅像は甚だ興味があるのである。
こういう観点から日本古来の肖像彫刻の中の三四についてその技法の推移を考えてみよう。
法隆寺夢殿の観世音菩薩立像が聖徳太子等身の像と言い伝えられて長い間厳重な秘仏とされていたことは著名であるが、それをそのままの意味にとっていいかどうか分らない。