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うめづしえんおうでん

梅津只円翁伝

杉山 萠円

「福岡日日新聞」1934(昭和9)年4月14日~5月31日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 65,582 字 · 130 页

青空文庫

間違うても囃子方の尻に付いてはならぬ」

と翁は度々山本氏等に云っていた。

◇

翁の歿後、右の言葉は直訳的に福岡の同流を風靡した傾向がある。同時に翁は間拍子のメチャメチャな所謂、我武者羅謡を推奨していたかのように誤解している間拍子嫌いの人も多かったらしいが、決してそんな事ではなかった。

もちろん幼少未熟の筆者には、そんな事はわからなかったが、しかし翁の門下でも梅津朔造、山本毎、斎田惟成氏などは間拍子の研究がよほど出来ていたものと信ずべき理由がある。

その中でも梅津朔造氏は囃子方、シテ方を通じての教頭格らしかった。能の前になるとよく囃子方諸氏が朔造氏の前に集まって申合せを行い、位取りや何かの叱正を受けている光景を見た。朔造氏が山本氏の中音の地謡を自身に張扇であしらって見せて、「ここの掛声をこういう風に一段と引っ立てて」なぞと指導している前で、囃子方諸老が低頭平身している情景なぞが記憶に残っている。とにかく朔造氏はよほど万事心得た人であったらしい。

◇

山本毎氏は別に間拍子の研究をしなかったそうである。「一生懸命謡い居れば間拍子は自然とわかる」