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つばきのはなのあか
椿の花の赤
豊島 与志雄
「公論」1940(昭和15)年5月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,755 字 · 22 页
この不思議な事件は、全く思いがけないものであって、確かな解釈のしようもないので、それだけまた、深く私の心を打った。
別所次生が校正係として勤めていた書肆の編輯員に、私の懇意な者があり、別所について次のように私に語った。
「特にこれといって注意をひくような点は、見当りませんがね。ただ、しいて云えば、ひどくおとなしい男で、少しも他人と争うこともしませんでした。同僚に対してさえそうで、まだ一度も口喧嘩などしたことを私は聞いたことがありませんし、地位の上の者、殊に編輯長とか社長とかに対しては、殊に従順でした。何と云われても、はいはいと返事をするきりで、口ごたえ一つしません。御存じの通り、校正係というものは、小さな書店ではごくのんびりした時があったり、ひどく忙しい時があったりするものでして、仕事がたてこんでくる時には、夜分まで居残っていても間に合わず、幾台もの校正刷を自宅に持ち帰って目を通すことさえあります。そんな時、校正が粗漏だったりするのを、他人からつっこまれても、別所君は弁解がましい口を利くこともなく、済みませんとただお詫びを云ってるだけです。もっとも、校正はあまり上手な方ではありませんし、熱心にやってるようでいて、実は仕事が上滑りしてるという感じもありました。