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えのきものがたり
榎物語
山本 周五郎
「オール読物」文藝春秋新社、1961(昭和36)年9月~10月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 33,519 字 · 67 页
四
ことに、それまで人から愛されたことも、気にかけてもらったこともなく、そういうことを求める望みを持ったためしもない者なら、その新しく生れた感情がどんなに力づよく、純真に、拒みがたい作用をするかは云うまでもあるまい。その日の夕刻、もう手許が暗くなりかけてから、さわはそっと庭へ出ていった。――それはちょうど、国吉が諦めて、榎の傍らから去ろうとするところであった。靄のたちこめて来た黄昏の中で、二人はお互いの姿を認め、静かに双方から歩みよった。
四
二人はいつも榎の陰で逢った。国吉がその日の仕事を終っている限り、人の眼を忍ぶ必要はなかった。国吉もさわも、周囲の者に殆んど関心を持たれてはいない。そこにいてもいなくても、誰の注意をひくこともなかったからだ。慥かにその筈であったが、一人だけ無関心でない者がいた。さわのために、妹なかの縁談を順序ちがいだと非難した老僕、足助がその当人であった。足助はよほどさわを大事に思っていたのだろう、国吉とさわが榎のところで、毎日のように逢っているのをみつけ、あるじ半左衛門に告げた。
足助はさわの味方をする者が、自分と国吉の二人だけだということを知っていたし、同時にこの屋敷じゅうで国吉ひとりは好ましい若者だと信じていた。