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えのきものがたり
榎物語
山本 周五郎
「オール読物」文藝春秋新社、1961(昭和36)年9月~10月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 33,519 字 · 67 页
さわの関心は自然の風物にしかなかった。遠く近く見える山、魚野川の流れ、草木の花や果実、四季の移り変り、雨、雪、あらし。――さわはそれらをもっとも親しい友のように眺めた。雲に語りかけることもあり、花を見て泣くこともあった。一日に少なくとも一度は榎のところへゆき、いっときぼんやりと幹に凭れてすごしたり、そこに国吉がいるものと想像し、心の中で彼との対話をたのしんだりするのであった。――さわは国吉から信りがあろうとは考えなかった。彼には読み書きができなかったし、江戸へいってから書けるようになったとしても、手紙はきっと家人にみつかるだろう。そうすれば自分がどんな扱いを受けるか、国吉にはわかっている筈だからだ。
「あたしがあの人のことを想っているように」とさわは茶筅を作りながら呟く、「国さんもあたしのことを想っていてくれるだろう、あたしたち二人には、手紙のやりとりをする必要などないのだ」
多額な費用をかけ、あんなに大騒ぎをして嫁にゆきながら、まる一年とちょっとでなかは病死した。原因は異常妊娠だったらしい、二日二た晩の出血で、医師が治療法に迷っているうちに死んでしまった、ということであった。