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えのきものがたり

榎物語

山本 周五郎

「オール読物」文藝春秋新社、1961(昭和36)年9月~10月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 33,519 字 · 67 页

青空文庫

浪人生活からぬけ出せたことがよほどうれしいのだろう、茶を味わうようすまでいかにもたのしそうに見えた。

その客を済ませたあと、宿の内所で女中たちと話していると、角庄から呼びに来た。これも馴染で、去年の春にいちど呼んだことがあるそうであった。さわは呼びに来たおようという女中といっしょに、角庄へまわった。座敷へいってみると、その客には覚えがあった。去年の春かどうかは忘れたが、中年のひどく気むずかしい人といっしょで、としは三十くらいだろうか、伴れの気むずかしさに反して、温和しく無口なようすが印象に残っていた。

「有難うございます」呼ばれた礼を述べてから、さわが訊いた、「こんどはお独りでございますか」

「そうか、去年は伴れがありましたっけね」客は微笑した、「あの男は病気で来られなかったんです」

そして、自分は茶は不調法だから、悪いところは注意してくれ、と言葉少なに云った。茶の手前などどっちでもいいらしい、さわの顔をもういちど見たかった。できるなら話をしたい、というつもりで呼んだようであった。そんなそぶりがかなりはっきりうかがわれたが、さわも口べたなほうだし、相手はさらに無口で、――去年と同じように、なにか話しだしはするが途中でやめる、というふうだったから、どうにも話題がはずまなかった。