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えのきものがたり
榎物語
山本 周五郎
「オール読物」文藝春秋新社、1961(昭和36)年9月~10月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 33,519 字 · 67 页
もう暗くなりかけたころになって、おすげが一人で駆けつけて来た。
「やっぱりあの人だったのよ、あたし一と眼でわかったわ」おすげは茶道具を片づけながら、わくわくした口ぶりで云った、「うしろ姿をひょっと見たときすぐに、あの人だなって思ったの、そうしたら喉のところが塞がっちゃって声が出ないのね、いいえ、躯つきにもあるきぶりにも、眼につくほどの癖なんかないの、ほかの人と違うところなんかどこにもないんだけれど、それでもちょっと見ただけでわかったわ、あの人のほうでもそうですって、もう通りすぎるときにこっちを見たら、すぐにわかっただろうって云ってたわ」
「あしかけ四年も経つのに、よかったわね」
「十年経ってたって同じだと思うわ、あの人もそう云ってたけれど、こういうことって本当にふしぎなものだわねえ」それから急に顔を赤くして云った、「ごめんなさい、黙っていっちまったりして」
「いいのよそんなこと、あたりまえじゃないの」さわは笑って云った、「それよりここはもういいからお帰りなさいな」
「最後のお手伝いですもの、今日はあたし独りで片づけます、あなたはなにもなさらないでね」
人のためになることならどんなことでもしたいという気分なのだろう、さわは云われるとおり黙って見ていた。