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えのきものがたり

榎物語

山本 周五郎

「オール読物」文藝春秋新社、1961(昭和36)年9月~10月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 33,519 字 · 67 页

青空文庫

もちろん大名の名は出さず、非公式に呼ばれるのだが、失礼のないようにと、側近の人に注意されると、心付の出しかたなどですぐにそれとわかった。こういうふうになると、周囲の噂は好奇心を生み、なんの根拠もない話がいろいろと広まったが、いちばんしんじつらしいのは、さわが越重の主人の囲い者である、という陰口であった。

――山津波のとき面倒をみてから、越前屋の重兵衛がずっとさわを囲っている、住居を建ててやったのも、茶の道具を揃えてやったのもそのためだし、毎月の仕送りも欠かさない、ところが息子の安二郎もさわに執心で、幾らいい縁談があっても見向きもせず、隙があったら自分のものにしようと覗っている、だからいまに越重の店で一と騒動はじまるぞ。

そういううがった内容のものであった。

越重の耳にもはいらないわけはない。さわが心配していると、安二郎が訪ねて来た。こんどこそ嫁になってもらう、と彼はひらき直ったように云った。世間の噂を聞いたであろうが、その一半の責任はさわにもある、むろん自分のみれんな気持に大半の責任のあることは云うまでもないが、このようにひろく噂が広まっては、自分とさわとが結婚する以外に、父に対する世評の誤りを立証するすべはない、と云うのであった。