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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

04 第四部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 145,078 字 · 285 页

青空文庫

「黒田はまだいたのか」と弥兵衛は大きな声で呼びかけた、「いつも残ってするほど仕事を押しつけられることはないぞ、おれが支配へ話してやろうか」

「いや今日は特別です」

「いつも特別か、人が好すぎる」弥兵衛は右手に持っていた刀を腰へ差した、「黒田はまだ新参ということを気にしているんだろう、そいつはやめたほうがいい、士分に取立てられてからでもずいぶん経つ、もう五年以上になるだろう」

「まだそうは経ちません」

「そんな硯洗いなんか、部屋番にやらせればいい、さあ、支度をして来ないか、いっしょにちょっと出よう」

玄四郎はうんざりした。弥兵衛はごく単純な性分で、玄四郎が自分を避けようとしていることなどはまったく気がつかない。さそいかければいつでもよろこんで来る、と信じきっているようであった。

「今日は少し勉強したいことがあるんですが」と玄四郎は洗った硯と筆を拭きながら云った、「またこの次のことにしてくれませんか」

「まあいい、勉強する年でもないだろう、待っているから支度をして来いよ」

「いや勘弁して下さい、外記さまに頼まれた写し物をしなければならないんです」玄四郎はきっぱりした調子で云った、「もう四五日かかりますから、済んだらお供をします」