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もみノきはのこった
樅ノ木は残った
山本 周五郎
04 第四部
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 145,078 字 · 285 页
「外記って、支配の松本さんか」
「そうです、なにがしとかいう高家から借りられた弘安礼節という古写本で、公儀の礼式を書いたものですが、今月いっぱいに写して返さなければいけないんです」
「そんなものが勘定役支配になんの用があるのかな」弥兵衛は鼻を鳴らした、「まあいい、それならまた次のことにしよう」
玄四郎は会釈して、役部屋へ戻り、机のまわりを片づけた。それから身支度を直し、刀を持って出ると、廊下の向うに太田弥兵衛が待っていて、いっしょに中の口から出た。
「じつはちょっと話しがあったんだが」と歩きながら弥兵衛が云った、「ずばっと云ってしまうが縁談なんだ、いや、まあ待て、黒田のことは聞いている、これまで幾たびも縁談があったのに、みんな辞退するばかりでうんと云わない、だからちかごろは誰もその話しをしないっていうことは聞いている、だがもう黒田だって三十だろう、そう選り好みをしている年じゃあないじゃないか」
「選り好みではありません」と玄四郎は当惑したように答えた、「みなさんの御好意は有難いのですが、なにしろまだこのとおり」
「それを云うな、黒田は必ず出世をする、勘定方だけではなく、黒田玄四郎の評判はたいへんなものじゃないか、知ってるんだろう」