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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

04 第四部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 145,078 字 · 285 页

青空文庫

弥兵衛は弁解するというより、やりこめるというふうに云った、「女房の縁で出世するような人間じゃない、などと云うつもりなら間違いだぞ、おれはそんなことはこれっぱかりも考えてはいないし、また、こう時勢が変って来た以上、出世する機会はなんによらずものにするのが本当だ」

長屋門のところへ来ていたので、玄四郎は立停った。弥兵衛が付け文のことを知っている理由がわかったので、ほっとすると同時に、彼の単純さが頬笑ましくなり、穏やかに頷きながら、考えておこうと答えた。

「人には云えない心願があって、当分は結婚しないつもりでいるんですが」と玄四郎は云った、「なおよく考えてみたうえで、改めて返辞をします」

「心願とは古風じゃないか、まさか敵持ちというわけでもないだろう」

「そのうちに返辞をします」と云って、玄四郎は別れの会釈をした。

五六日のち、非番に当った日に、玄四郎は写し終った弘安礼節を持って、支配の家を訪ねた。松本外記は出仕していたが、妻女にひきとめられて、内客の間で暫く話した。つるというその妻女は男のような気性で、良人の外記よりもすべてがはきはきしていた。――この夫妻は初めから親切で、身辺の面倒もみてくれるし、しばしば食事に招いて、知友のできるように計らってくれた。