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もみノきはのこった
樅ノ木は残った
山本 周五郎
04 第四部
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 145,078 字 · 285 页
往き来の人たちは、六郎兵衛の姿を見ると、たいていの者が道を避けながら、きみ悪そうな眼で眺めた。
「そうか」ふいに六郎兵衛が立停って、玄四郎のほうへ顔を向けた、「そうか、わかった、思いだしたぞ」
玄四郎も立停った、「なんです」
「きさまのことだ、何年かまえに妹から聞いたことがある、きさまはみやと密通していた男だ」
「そのことも話します」と玄四郎はなだめるように云った、「人立ちがしますからもう少し歩いて下さい、おちついたところですっかり申上げます」
「酒を飲ませろ」と六郎兵衛が云った。
「そうしましょう」と玄四郎は答えた。
みな川町に「花菱」という奈良茶の店がある。茶漬を売る店だが、寄合のために貸す座敷もあり、酒肴の注文にも応じた。貸し座敷はしばしば禁止されたが、すでに世間の必要なものになっていたので、実際には数が多くなりつつあるくらいだった。花菱は武家屋敷に近いので、茶漬だけの客よりも、座敷へあがって飲む客のほうが多く、玄四郎も太田弥兵衛に伴れられて、幾たびか来たことがあった。
「私は黒田玄四郎という者です」
小座敷へとおって、酒肴がはこばれて来てから、玄四郎は六郎兵衛に酌をしてやりながら、まず名をなのって話しだした。